あいおい同和損害保険
企業、アスリート、自治体がWIN-WINのスポーツ支援事業の形
「U-SPORT PROJECTコンソーシアム」では、パラスポーツ団体、民間企業、地方公共団体等が、それぞれの持つ強みやリソースを、他団体との連携により継続性・持続性のある新たな取組に繋げることを目指しています。第2回の特集では、あいおいニッセイ同和損害保険株式会社の取組をご紹介します。
車いすバスケットボールから始まったスポーツ支援
あいおいニッセイ同和損保は、国内企業の中でもいち早くパラスポーツに携わり、サポート事業を継続している。「東京都スポーツ推進企業認定制度」では5年連続で「東京都スポーツ推進モデル企業」の認定を受け、2020年には初の殿堂入り企業となった。
同社がスポーツに携わるようになったのは2006年(当時はあいおい損保保険)のこと。日本車いすバスケットボール連盟(JWBF)とオフィシャルスポンサー契約を締結したことから始まった。
「きっかけは、トヨタ自動車やアイシンなど当時のグループ企業各社がバスケットボールの実業団チームを持っていたことから、“バスケットボールに関わりを持って一緒に盛り上げませんか”というお声がけをいただいたこと。そこで社内で検討したところ、車いすバスケットボールという競技があることを知り、選手たちの大半が交通事故で車いす生活を余儀なくされた方ばかりということを聞き、当社との親和性が高いことからJWBFとのスポンサー契約締結に至りました」と、広報部スポーツチーム特命部長の倉田秀道氏は語る。
さらにパラスポーツと深い関わりを持つきっかけとなったのが、2013年、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の開催決定だった。社長から「当社も何かできないか考えてほしい」と依頼を受けた倉田氏。すでにJWBFとスポンサー契約を結んでいたことから、車いすバスケットボールをはじめとするパラリンピック競技を中心に支援活動をしていくというシナリオでスタートした。翌2014年4月には新たに経営企画部にスポーツチームが立ち上がったが、それまで協賛という形以外でのスポーツ支援活動の実績はなく、実際にどのように取り組むのか白紙の状態だった。
ただ、倉田氏にはパラスポーツとの縁があった。当時監督を兼務していた早稲田大学スキー部には、パラスポーツでは初めて同大のトップアスリート入試に合格したパラアルペンスキーの村岡桃佳選手が所属しており、日常生活から競技指導まで深く関わっていた。この出来事をきっかけにパラスポーツ界での人脈を築いた倉田氏は、パラアスリートがどのような支援を必要としているのか、まずは現状を知るためにパラスポーツ関係者へのヒアリングを行った。その過程で知ったのが、日本パラリンピック委員会(JPC)や日本パラスポーツ協会(JPSA)という組織の存在だった。
「早速JPCを訪れ、素直に“弊社ではパラスポーツの支援をしていこうと思っているのですが、何をしたらいいでしょうか?”と伺いました。すると、“まずは会場に行って実際に見てほしい”と言われました。すぐに大会の観戦に行ったのですが、入場料は無料だというのに、まさに閑古鳥が鳴いている状態で観客席はガランとしていました。“ああ、これが日本のパラスポーツの現状なんだな”と理解しました」
そこでスポーツチームの事業として最初に着手したのが、同社社員による大会応援だった。JPSAとスポンサー契約を締結すると同時に応援活動を開始。2014年7月には社内で有志の応援団を結成し、ゴールボールの大会を観戦した。「その日はちょうど台風が来ていたので、社員には“無理しなくて大丈夫だから”と言っていたのですが、なんと100人近い社員が来てくれました」と倉田氏。パラスポーツの試合を初めて目にして、どの社員も感動に満ち溢れていたという。
「試合後には、観戦に来ていた当社社長の“社員たちの話を聞きたい”という希望により、社長と社員たちとの食事会が開催されました。そこで“初めて見たけれど、本当にすごかった!”“とても楽しかったから、また行きたい!”というような声が次から次へとあがりました」
その光景を目にした倉田氏は、「何か目に見える形で柱を作りたい」と考え、『観て、感じて、考える』というスローガンを掲げた。
「観ないとパラスポーツの面白さに気づくことはできません。そして観れば、何かを感じてもらうことができる。さらにただ感動して終わるのではなく、自分に置き換えて、人生や仕事について考えることにも繋げられたら、という思いをこめてスローガンにしました。これは今もしっかりと受け継がれています」
企業ではなく自治体が主体となることが重要な理由
同社には、現在、オリンピック競技とパラリンピック競技を合わせて19人のアスリートが所属する。アスリート採用の始まりは2015年のこと。応援プロジェクトを進める中で、「スポーツはアスリートが真ん中であるべき。所属アスリートがいた方が親和性を感じ、社員の”応援したい”という気持ちが継続するのではないか」と考えたからだ。こうしてパラアスリートから始まったアスリート雇用は、2017年からオリンピック競技へと広がった。この取組は、国内では非常に稀有なものであった。
「当社のスポーツチームはパラスポーツの支援・応援から始まりましたので、採用もパラアスリートを、というのは自然な流れでした。
そんな中、所属選手との会話の中で、パラスポーツは以前”リハビリの延長”と見られていたため、パラアスリート達が「オリンピックと同じアスリートであり、パラリンピックはオリンピックと同じ世界最高峰の競技大会なのだから同じように扱ってほしい」という思いを抱いていることを知りました。そこで、パラアスリートだけを採用することは当社の目的である多様性社会の実現にならないのではないかと考え、オリンピック競技の応援やアスリート採用も始めることにしました」
「現役時代からJISSなどでパラスポーツの選手を見かけたり、泳いでいる姿を見かけたりすることはありましたが、実際に会話をする機会はありませんでした。入社後パラアスリートの方たちと接点を持ったり、試合を観戦したりするようになって、深く知ることができました。私自身の世界観も広がり、今ではオリパラを分けて考えることはなくなりました。それは当社がオリパラどちらのアスリートも採用しているからこそ。自然と垣根がなくなっていました」と、元競泳選手で現在はスポーツチームの一員である青木智美氏は語る。その環境は社員にとってオリンピックとパラリンピックを分け隔てなく考えるきっかけになっている。
また、地域密着型の支店を全国に持つ同社の強みを活かし、体験会や講演会、出前授業への所属アスリートの派遣も行っている。地方創生のビジネスにつながる取組の一環であるという考えのもと、必ず都道府県や市町村との連携事業として行っているのが特徴だ。
「当社では、もともとパラスポーツを通じた多様性や共生社会の実現を目指しています。ただ、単独ではどうしても広がりが小さい。自治体が率先して動いていかなければ浸透していかないし、根付かないと思っています。だからこそ、主体的に動くのはあくまでも自治体であることが大事。そのため、当社は地域事業をお手伝いするという形で所属のアスリートを派遣し、地域の人たちと一緒に活動していくというスタンスを大事にしています」
地域密着を大事にする同社では、都道府県だけでなく、市町村とも包括連携協定を結び、その数は約530自治体にのぼる。さらに協定を結んでいない自治体からのオファーも受け付けており、所属アスリートの派遣は毎年140~150回にのぼる。2023年度には過去最多の156回を数えた。
こうした事業は東京2020パラリンピック競技大会後も継続されており、その活動範囲は縮小するどころか、広がりを見せている。それは、一方通行のスポーツ支援事業ではなく、企業、パラアスリート、地域にとってWIN-WINの関係が構築されているからだと倉田氏は語る。
「社会活動は、所属するパラアスリートにとってはスキルアップや能力開発に繋がり、デュアルキャリアやセカンドキャリアという点でも大きな意味を持ちます。引退後も大きな力になるはずです。そして、パラアスリートの派遣は自治体にとって地域課題解決のニーズに即しており、地域にとってプラスになっています。だからこそ、東京大会後もこれだけオファーをいただけているのだと思います。そして当社にとってはまさに地域貢献そのもので、会社が標榜している地方創生の事業につながっている。つまり、全員がWIN-WINの関係になっている。これが大きいのだと思います」
今後は大学とも連携するなど、さらにブラッシュアップさせ、形を変えながら継続していくつもりだ。「一企業でやれることには限りがある。だからいろいろなところを巻き込んで、みんなで一緒にやっていきたいと思っています」と倉田氏。様々な団体が加盟する「U-SPORT PROJECTコンソーシアム」の活用で、さらなる広がりが期待される。